斉藤浩のブログ

ツィンバロン奏者 斉藤浩のブログです。日々のことを少しずつ書いています。コンサート情報や、感想なども。

ブログ一覧

混声合唱団「みずうみ」コンサートのポスター&チラシが届きました

混声合唱団「みずうみ」第7回コンサートのポスターとチラシが届きました

今回も、とても素敵なデザインです。

青を基調にしたデザインで、コンサートへの期待が少しずつ高まってきます。

混声合唱団「みずうみ」は、約100名が在籍する島根県最大の合唱団です。

実は僕も、この合唱団の団員の一人。

普段はツィンバロン奏者として活動している僕ですが、合唱団では皆さんと一緒に声を出し、同じ音楽を作っています。

そして今回の第7回コンサートでは、第3部で合唱とツィンバロンのコラボレーションがあります。

ツィンバロンは一台でもかなり特徴のある響きを持った楽器ですが、大勢の人の声が重なった合唱と一緒になると、また違った表情を見せてくれます。

僕自身、どんな響きになるのか今からとても楽しみにしています。

今回のコンサート、プログラムをあらためて眺めてみると……

なかなか濃いですよ〜(笑)。

合唱ならではの大きな響きや美しいハーモニーはもちろん、ツィンバロンとの共演も含めて、いろいろな音楽の表情を楽しんでいただけるコンサートになるのではないかと思っています。

そして今日、ポスターとチラシを受け取って、もう一つ感じたことがあります。

これだけたくさんのポスターやチラシを、団員一人ひとりに配れるように仕分けをして、準備してくださった役員の皆さんのことです。

コンサートというと、どうしてもステージの上に立つ人たちに目が向きます。

でも実際には、本番を迎えるまでに本当にたくさんの準備があります。

チラシやポスターを作ることも、その一つ。

そして完成したものを仕分けして団員に渡し、それぞれがいろいろな場所へ届けていく。

こうした一つひとつの作業が積み重なって、ようやく一つのコンサートが形になっていくんですよね。

準備してくださった役員の皆さんには、心から感謝しています。

本当にありがとうございます。

混声合唱団「みずうみ」第7回コンサートは、11月3日(火・祝)、さんびる文化センター プラバホールで開催されます。

まだ少し先ですが、ポスターやチラシが出来上がってくると、

「いよいよコンサートが近づいてきたなぁ」

という気持ちになります。

約100名の合唱とツィンバロン。

さて、どんな音楽になるでしょう。

僕も今から楽しみです。

そして当日は、会場に来てくださる皆さんにも、このコンサートならではの響きをたっぷり楽しんでいただけたら嬉しいです。

2026年08月30日

高校時代の恩師と、松江の音楽のこれから

今日は、NPO松江音楽協会の総会でした。

そして今回、僕の高校時代の恩師が、新しく理事長に就任されました。

高校3年間はもちろん、その後、僕が教育実習に行った時にも大変お世話になった先生です。

高校時代からお世話になっている恩師と、総会を終えて。


こうして改めて一緒に写真を撮っていると、なんだか不思議な感じがします。

振り返ってみれば、高校時代の僕は本当に好き勝手に音楽をさせてもらっていました(笑)。

作曲をしたり、いろいろな音楽に興味を持ったり……。今考えると、ずいぶん自由に音楽と向き合わせてもらっていたんだと思います。

でも、あの頃に「こうしなさい」「これはダメ」と型にはめられるのではなく、自分が面白いと思った音楽を自由に追いかけることができたからこそ、その後の僕の音楽人生につながっていったのかもしれません。

高校を卒業して、音楽大学へ進み、その後はハンガリーやスロバキアで学び、気がつけばツィンバロンという楽器と長い付き合いになりました。

そして今、松江に戻って音楽活動をしている僕が、かつてお世話になった先生と、今度は同じ音楽協会の中で活動している。

時間って面白いものですね。

NPO松江音楽協会は、プラバホールでのコンサート運営だけをしている団体ではありません。

小学校へ音楽を届けるアウトリーチ活動をはじめ、もっと気軽に音楽を楽しんでいただけるミニコンサート、時にはBarのような雰囲気で音楽とお酒を楽しむ企画まで、本当にいろいろなことをしています。

そして僕がいいなと思っているのは、プロ・アマを問わず、「音楽が好き」という人たちが出会える場所だということ。

演奏する人だけでなく、聴くことが好きな人、コンサートを支えてくださる人など、いろいろな形で音楽に関わることができます。

アーティスト会員、正会員、ボランティア会員も年々増えて、少しずつ大きな団体になってきました。

クラシックだけではありません。

ジャンルは問いません。

「音楽が好き」という気持ちがあれば、それで十分。

松江には昔から音楽を大切にする土壌がありますが、これからさらに、世代やジャンルを越えて音楽で人がつながっていけたら素敵だなぁと思っています。

そして僕自身も、その中でできることを少しずつ。

高校生だった僕に、自由に音楽をさせてくださった先生と、今こうして松江の音楽のこれからを一緒に考えられることも、なんだか嬉しいものです。

音楽って、演奏して終わりじゃないんですよね。

人と出会ったり、何十年も経ってまたつながったり、次の世代へ渡っていったり。

そんなことも全部ひっくるめて、音楽なのかもしれません。

松江で音楽を楽しんでいる皆さん、
そして「ちょっと何かやってみたいなぁ」と思っている皆さん。

ぜひ、一緒に音楽を楽しみませんか?

僕もあまり難しいことを考えず(笑)、いろんな人と音楽を通じて楽しくつながっていけたら嬉しいです。

そして、松江の音楽文化がこれからもっともっと広がっていきますように。

2026年08月29日

僕が今までで一番苦労した曲

サントリーホール サマーフェスティバル

現在はこの名称ですが、2008年当時は「サントリー音楽財団 サマーフェスティバル2008 MUSIC TODAY 21」として開催されていた、あのサントリーホールが誇る夏の終わりの「現代音楽の祭典」です。

僕は帰国してから、このフェスティバルに4回呼んでいただきました。

僕はもともと現代音楽が好きなので、出演のお話をいただくたびに、

「今度はどんな奏法が使われているんだろう?」

「ツィンバロンがどういう編成の中に入っているんだろう?」

と、毎回楽しみにしていました。

現代音楽の場合、楽譜を開いて初めて見る特殊奏法が書いてあったり、「こんな音をツィンバロンから出すのか」と驚かされたりすることもあります。

そういうものも含めて、僕にとっては面白いのです。

ところが…。

これまで送っていただいたツィンバロンのパート譜の中で、譜面を見た瞬間に本当に顔面蒼白になった曲が、一曲だけあります。

それが、2008年にプログラムされていたステファーノ・ジェルヴァゾーニ作曲、

《Irrene Stimme, inizio di partita》
(イーレネ・シュティンメ)

でした。

本番は2008年8月29日、サントリーホール大ホール。

杉山洋一さんの指揮、東京都交響楽団、独奏ピアノはバハル・ドルドゥンジュさん。この作品の日本初演でした。


半年前に届いたパート譜

まず驚いたのは、パート譜が本番の半年くらい前に送られてきたことです。

普通なら、

「ずいぶん早いなぁ」

と思います。

ということは、

「これは、よほど大変な曲なんじゃないか……?」

そんな予感がしました。

そして譜面を開いてみると…。

まさに、その通りでした。

僕はこれまでにもかなり難しい現代作品を演奏してきましたが、この曲は別格でした。

単純に音符が多いとか、テンポが速いとか、そういう難しさだけではありません。

ツィンバロンという楽器そのものに、とても重要な意味が与えられている作品なのです。


ピアノの「もう一人の自分」としてのツィンバロン

この作品の中心にいるのは独奏ピアノです。

そして作曲者ジェルヴァゾーニは、そのピアノに対してツィンバロンを最初の「エコー」、あるいは alter ego――もう一人の自分、分身のような存在として置いています。

さらに、その向こうにはスティールドラムがあります。

つまりツィンバロンは、オーケストラの中にちょっと珍しい音色を加えるために置かれているのではありません。

民族的な雰囲気を出すためでもありません。

作品の構造そのものに深く関わっているのです。

曲の中では、まずピアノの低音から、まるで嘆きのような下降する動きが現れます。

そこへ「内なる声」が入り込んでくる。

その声は次第にオーケストラ全体へ広がっていき、最後には独奏者であるピアノそのものをのみ込んでいきます。

そして、その過程の中で現れるのが、ピアノとツィンバロン、そしてスティールドラムとの対話です。

ツィンバロンはピアノの音を受け取りながら、ピアノとは違う響きに変えて返していく。

言ってみれば、独奏ピアノの心理的な「もう一つの声」のような役割です。


10本の指から、2本のバチへ

ここ。

これが、本当に難しかったんです。

ピアノは両手10本の指で演奏するじゃないですか?

そのピアノから渡される音を、ツィンバロンはたった2本のバチで受け取り、さらにそれを次へと受け継いでいかなければならない。

しかも、その部分が恐ろしいほど速いんです。

右手と左手が常にバラバラの動きをしながら、とんでもないテンポで音をつないでいかなければなりません。

ピアノから飛んでくる音を聴き、それを受け取って、自分の音として返す。

理屈としては分かります。

でも、

「10本の指で弾かれたものを、こっちは2本のバチで受け取るんですよ?」

という話です(笑)。

ただ自分のパートを正確に弾けばいいわけでもありません。

ピアノが何をしているのか。

その音をどう受け取るのか。

自分が出した音が、その次にどこへ向かっていくのか。

指揮を見ながら、独奏ピアノを聴き、オーケストラ全体を感じ、その中で自分の音をコントロールしなければならない。

もちろん、そんなことを本番中に文章で考えている余裕なんてありません(笑)。

目の前には、とんでもなく難しい譜面があります。

それを弾くだけでも必死です。

この曲は、技術的な難しさと音楽的な難しさが完全に重なっている。

そこが、本当に恐ろしいところでした。


本番前日に「金づちで弾いてほしい」

そして、この曲にはもう一つ、忘れられない出来事があります。

なんと本番前日になって、ジェルヴァゾーニさんから、

「ツィンバロンを、小さい金づちのようなもので演奏してほしい」

という指示が出たのです。

「えっ、明日本番なんですけど……」

ですよ(笑)。

そんなバチ、当然持っていません。

さすがに困りました。

そこで東急ハンズへ行き、自転車のスポークを買ってきました。

それを曲げて形を作り、持ち手の部分にはビニールテープをぐるぐる巻きにして、即席の金属製バチを自作しました。

そんなバチ、それまで作ったことなんて一度もありません。

現代音楽をやっていると、ときどき演奏家なのか工作員なのか分からなくなることがあります(笑)。

でも、作曲者が求めている音がある以上、何とかしなければならない。

結局、その自作の金属バチを使って本番を演奏しました。


「内なる声」が迷い始める

題名の《Irrene Stimme》という言葉も、とても興味深いものです。

ドイツ語の “Innere Stimme”――「内なる声」を思わせながら、そこにirreirren という、「狂った」「迷う」「道を誤る」といった意味を持つ言葉が重ねられています。

「内なる声」が少しずつ迷い始める。

自分の中にあったはずの声が、いつの間にか自分では制御できないものになっていく。

そして外へ、さらに外へと広がり、最後には自分自身をのみ込んでしまう。

そんな少し不気味で、不思議な世界を持った作品です。

今になって改めてこの曲を考えてみると、

「ああ、だからツィンバロンだったんだな」

と思います。

ツィンバロンはピアノと同じように弦を持つ楽器ですが、音の生まれ方はまったく違います。

ピアノではハンマーが機械的なアクションを通して弦を打ちますが、ツィンバロンでは奏者自身がバチで直接弦を打ちます。

鋭いアタック。

そのあとに広がる金属弦の残響。

ピアノにどこか似ている。

でも、決してピアノではない。

その「似ているけれど違う」という距離感そのものが、この作品では必要だったのかもしれません。


そして、地獄のエンディング

そして、この曲のエンディング。

これがまた、とんでもないんです。

音の多さに、もうぶっ倒れそうでした。

何が大変かというと、毎拍、連符の数が変わるんです。

譜面を見ると、とにかく真っ黒。

しかも、ただ細かい音符が並んでいるだけではありません。

その連符の中にアクセントが入っている。

普通なら、

「ここが1拍目、ここが2拍目……」

と、拍の頭を頼りにして演奏できます。

ところが、そのアクセントが連符の中に入り込んでくるので、単純なカウントだけでは拍の頭を取ることができない。

譜面は真っ黒。

連符の数は毎拍変わる。

アクセントまでその中に入り込んでいる。

弾きながら、

「今、どこだ?」

なんて一瞬でも思ったら、おそらく終わりです(笑)。

本番では、とにかく自分に、

「いっちゃえ、いっちゃえ!!」

と暗示をかけながら演奏しました。

たぶん、あの時の僕は目が血走っていたと思います(笑)。


2008年8月29日、サントリーホール

2008年8月29日。

サントリーホール大ホールで、東京都交響楽団の中に座って、この作品の日本初演を演奏しました。

最後の音までたどり着いた時には、とにかくホッとしました。

演奏後にはジェルヴァゾーニさんとお話しすることもできましたし、オーケストラの方々からも、

「大変だったねぇ」

と慰労の言葉をかけてもらいました。

おそらく皆さん、ツィンバロンの譜面がとんでもないことになっているのを分かっていたんでしょうね(笑)。

2008年8月29日、サントリーホール大ホールでの日本初演を終えて。左は作曲者ジェルバゾーニさんと。右はこの作品を演奏したツィンバロン。今でも、この日のことは鮮明に覚えています。


今でも迷わず、この曲です

もう18年近く前になります。

その後も僕は、たくさんの現代作品を演奏してきました。

クルタークをはじめ、本当に難しい作品にも数多く関わってきました。

それでも、

「今までで一番苦労した曲は?」

と聞かれたら、僕は今でも迷わずこの曲を思い出します。

ステファーノ・ジェルヴァゾーニ

《Irrene Stimme, inizio di partita

まぁ、先にも後にも、僕が今まで演奏してきた曲の中で、ダントツに難しかった曲です。

本当に大変でした。

でも、これほどまでにツィンバロンという楽器の「音そのもの」が、作品の重要な意味を担っている曲を演奏できたことは、僕にとって、とても貴重な経験でした。

半年も前に真っ黒なパート譜が届き、それと格闘し続け、本番前日には東急ハンズへ走って自転車のスポークを買い、金属のバチまで作った。

そして本番では、

「いっちゃえ、いっちゃえ!!」

と自分を鼓舞しながら、最後まで何とか弾き切った。

今振り返ると、

「ああ、現代音楽をやっていたなぁ」

と思います。

楽譜に書かれていることを再現するだけではない。

時には演奏方法そのものを考え、道具まで自分で作り、作曲家が頭の中で思い描いている「まだ誰も聴いたことのない音」を、実際の音にしていく。

それもまた、現代作品を演奏する面白さなのだと思います。

そして何より、この作品では、ツィンバロンが単なる特殊な音色として使われていたのではありません。

ピアノから音を受け取り、別の響きへ変え、さらにその先へ渡していく。

ピアノの「もう一人の自分」として、この楽器が作品の中に存在していました。

だからこそ大変だった。

そして、だからこそ忘れられない。

あれだけ苦労したからこそ、18年経とうとしている今でも、僕にとって忘れることのできない一曲なのです。

2026年8月28日
ツィンバロン奏者 斉藤浩

2026年08月28日

ツィンバロンのバチの手入れは、バチ先だけではない

この夏は、本当に蒸し暑いですね。

昨夜も、エアコンを切ると室温が34℃まで上がるという異常な暑さでした。

僕は演奏会が近くなると、バチ先の綿の量を加減して新しい硬さのバチを作ったり、糸が切れたバチを補修したりすることがよくあります。

でも、今の時期にやっておかなければならない、もうひとつの作業があるんです。

それが、バチの持ち手の手入れです。

今日は、バチの持ち手を一本ずつ手入れしました。


留学していたハンガリーやスロバキアでは、こんなことはなかったんですけどね…。

実は日本では、夏になるとツィンバロンのバチの持ち手部分に、白い粉のようなものが付くことがあります。

おそらくカビだと思うのですが、青や緑のいかにも「カビ」という感じではなくて、白く粉をふいたような感じです。

帰国して初めて見た時には、僕もびっくりしました。

何十本ものバチを密閉したケースの中に入れているので、やっぱり通気が悪いんでしょうね。

特に持ち手の部分に出ることが多いので、演奏中に手に汗をかいたまま、終演後そのままケースに入れてしまうことも原因のひとつなのかな、と思っています。

手は清潔にしているつもりなんだけど…。

そこで年に何度か、持ち手の部分を除菌ウェットティッシュで一本ずつ丁寧に拭いてやります。

そうすると、またきれいなバチに戻ってくれます。

ただ、少し心配なのが、持ち手部分にニスが塗ってあるバチも何本かあること。

あまり強く拭いてニスが傷んだり剥げたりすると、今度は持った時の感触が変わってしまいます。

ツィンバロンのバチというのは、同じように見えても一本一本、本当に個性があります。

しなり具合も違えば、重さも違う。

僕の手との相性もあります。

最初に持った時には、

「これはちょっと僕には合わないなぁ」

と思ったバチが、しばらく使っているうちに、いつの間にか一番使いやすいバチになっていたりすることもあります。

曲によっても違うし、その日の自分の感覚によっても違う。

だから演奏する時には、何十本もある中から「どれにしようかな」と、毎回けっこう悩みます。

今日も、そんなバチを一本一本、除菌ウェットティッシュで拭いてやりました。

こうして手入れをしていると、不思議なもので、一本一本にまた愛着が湧いてくるんですよね。

古いバチも、新しいバチも、それぞれに違った感触があります。

これからも僕の手に少しずつ馴染んで、いい音を出してくれるバチに育ってくれたらいいなぁ。

そんなことを思いながら、今日はバチの手入れをしていました。

2026年08月26日

僕のツィンバロンがやってきた日

2003年の夏、待望の僕の新しいツィンバロンが、ブダペストのアパートに届きました。

チェコ・ブルノから、製作者のパヴェルとペトルが、わざわざブダペストまで運んできてくれたのです。

嬉しかったなぁ…。
初めて新しい相棒と対面した時は。

2003年夏、ブダペストのアパートに届いたばかりの白木のツィンバロン

2003年夏、ブダペストのアパートに届いたばかりのツィンバロン。僕とこの相棒の「最初の日」です。


待ちに待った、新しい相棒

僕は朝から、パヴェルとペトルが到着するのをソワソワしながら待っていました。

そして、アパートの門の呼び鈴が鳴った時には、もうテンションはマックス。

2人が僕の部屋まで楽器を搬入し、組み立ててくれた時、そこには生まれたてのような、若い木の匂いがしました。

それまで使っていたバチで、さっそく叩いてみると、

「あれ、この楽器はちょっと違うぞ?」

そう感じました。

音がこもらないんです。輪郭がはっきりしていて、とても明るい音。

僕はすっかり興奮してしまい、その日はなかなか眠れなかったことを覚えています。

「これから、この相棒と一緒に生きていくんだ…」

そんなことを思っていました。

ハンガリーへ留学した2002年、僕はすぐに自分のツィンバロンを準備することができませんでした。

そのため、Zeneiskola(音楽学校)の計らいで、特別に1年間、ツィンバロンを貸与してもらっていました。

その期間が満了して楽器を返却した、ちょうどその頃に、この新しい相棒がやってきたのです。


まだ「やんちゃ」だったプロトタイプ

とても素敵なフォルムでしょう?

この楽器は、僕の師匠である世界ツィンバロン協会会長、ヘレンチャール・ヴィクトーリアのために開発されたツィンバロンで、この時にはまだ試作段階、いわゆるプロトタイプのモデルでした。

当時、このプロトタイプを使っていたのは主にヘレンチャール門下の奏者たちでした。そしてブダペストには、先生と僕の2台しか、このツィンバロンはありませんでした。

もっとも、出来上がったばかりの頃のこのツィンバロンは、なかなか「やんちゃ」でした。

毎日毎日調律しても、すぐに狂う。

ペダルもまだ硬く、なかなか思うように踏めません。

まだプロトタイプだったので、製作者と相談しながら何度も改良を重ねました。少し削ってもらったり、パーツを交換したり……。

僕自身も、この楽器が少しずつ育っていく過程を一緒に経験することになりました。

当時、まだ世界に数台しかなかったこのモデルは、その後チェコやスロバキアでも一気に人気となり、手に入れるために何年も待たなければならないほどになりました。

ブダペストにたった2台しかなかった、白木のヘレンチャール・モデル。

先生の楽器と僕の楽器。この2台でデュオをすると、音質も音量もとてもよく馴染み、バランスの良い響きになると好評でした。


この相棒とヨーロッパへ、そして日本へ

僕はこの相棒とともに、留学中もたくさんの街へコンサートに出かけました。

ハンガリーだけではありません。

スイス、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア…。

いろいろな国へ、この相棒と一緒に旅をしました。

そして、アカデミーを卒業した2006年。

今度はこの相棒を日本へ空輸するために、たくさんの書類を準備しました。そしてようやく、日本の我が家へ迎えることができました。

帰国してからも、ずっとこの相棒と音楽の旅を続けています。

日本にやってきて、もう20年。

日本中を一緒にまわりました。

たくさんのオーケストラとも一緒に頑張りました。

被災地へも何度も一緒に出かけ、少しでもたくさんの方を音楽で励ますことができればと演奏してきました。

僕のCDに残っている音も、この相棒が奏でてくれたものです。

2003年、ブダペストのアパートで初めて出会ってから、もう23年になります。

あの日、この真新しいツィンバロンを前にして、

「これからこの相棒と一緒に生きていくんだ」

と思ったこと。

こうして振り返ってみると、本当にその通りになりました。


受け継いだ音を、これからも

師匠の想いを詰め込み、考え抜かれて作られたこのツィンバロン。

僕にとっては、「ヘレンチャール門下の音」と言ってもいいのかもしれません。

音の並びそのものは、伝統的なボハークタイプと同じです。

でも、実際に鳴らしてみると、そこにはヘレンチャール先生が求めていた響きが、確かにありました。

「これはヘレンチャールの音だ」

そう感じるたびに、僕はヘレンチャール門下であることを、とても誇らしく思いました。

そこには、師匠が受け継いできた伝統が、まるで魂のように埋め込まれているような気がしたのです。

僕はこれからも、ずっとずっと、この相棒と一緒に音楽を続けていきたいと思っています。

ただ音を奏でるだけではなく、その音の中に息づいている伝統も含めて、次へと伝えていくために。

そして、この相棒とともに、これからも新しい音楽と出会っていくために…。

2026年08月24日
» 続きを読む