ツィバロン奏者 斉藤浩のブログ

ツィンバロン奏者 斉藤浩のブログです。日々のことを少しずつ書いています。コンサート情報や、感想なども。

ブログ一覧

検索で初めてツィンバロンを知る人へ~僕が伝えたい、もう少し広い姿~

伝統的なタイプのツィンバロン。

今日は、インターネットで「ツィンバロン」と検索したときに出てくる説明について、僕が感じていることを書いてみたいと思います。

検索の最初の一文で、イメージが決まってしまう

多くの人にとって、ある楽器との最初の出会いは、検索結果の数行の文章です。
「ツィンバロン」と検索すると、たいていこんな説明が出てきます。

ハンガリーなどで使われている打弦楽器
台形の箱に張った弦を叩いたり弾いたりする楽器
ある決まった番号の楽器に分類される

どれも、まったくの間違いではありません。
歴史や楽器のしくみをざっくり知るには、とても分かりやすい説明だと思います。

ただ、演奏の現場にいる僕から見ると、「この説明だけで終わってしまうのは、ちょっともったいないなあ」と感じることが増えてきました。

ツィンバロンは「珍しい民族楽器」だけではない

これまでツィンバロンで関わってきた仕事を振り返ると、本当にいろいろな場面があります。

オーケストラの曲で、ほかの楽器と一緒にステージに立つ
映画やテレビ番組の音楽を録音する
学校やホールで子どもたちと一緒に音を出してみる

初めてツィンバロンを聴いた方からは
「思っていたよりずっと柔らかい音ですね」
「ピアノとも打楽器とも違うけれど、すぐ耳になじみました」
といった声をよくいただきます。

僕自身にとってツィンバロンは、
「オーケストラやいろいろな音楽の中で活躍できる、グローバルな楽器」
というイメージが強くなっています。

ところが、検索の最初の説明だけを見ると、

どこか遠い国の、特別な民族楽器
普段のコンサートとはあまり関係がなさそうな楽器
という印象で止まってしまいやすいように感じます。
その結果、本当は相性の良い場面がたくさんあるのに、「候補にすら上がらない」ことがあるのではないかと心配しています。

分類や専門用語は大事。でも、それだけでは伝わりきらない。

楽器を番号で分ける「分類」の考え方は、研究の世界ではとても役に立つものです。
ツィンバロンも、その中でちゃんと位置づけられています。

ただ、ステージの上で音を出しているとき、僕が意識しているのは番号ではありません。

どんな音色でメロディーを支えるか
弦をどう触れば、柔らかい音や鋭い音が出せるか
一緒に演奏している人たちと、どう呼吸を合わせるか
こうした「生きている楽器としての姿」は、どうしても分類の数字だけでは伝えきれません。

だからこそ、検索の入口となる短い説明の中に、少しだけでも「今のツィンバロン」の様子が入っているといいな、と思うのです。

僕が理想とする「最初のひとこと」

もし、ツィンバロンを初めて知る方に向けて、僕が最初の一文を書くとしたら、こんな感じになります。

ツィンバロンは、ハンガリーを中心に発展した打弦楽器で、
コンサートや映画音楽、民俗音楽など、
さまざまな場面で活躍している楽器です。
そのあとで、歴史や構造、楽器の分類のお話をゆっくり足していく。
そうすると、「珍しい楽器」ではなく「今の音楽の中で生きている楽器」として、少しイメージしやすくなるのではないかと思っています。

いっしょにツィンバロンのイメージを広げていけたら…

インターネットの小さな文章が、楽器のイメージを大きく左右する時代です。
だからこそ、僕は演奏の現場から見えるツィンバロンの姿を、少しずつ言葉にして残していきたいと考えています。

ここに書いたのは、あくまで僕自身の経験から感じていることです。
ツィンバロンについて記事を書いてくださっている方々や、楽器を研究している方々への敬意は変わりません。

そのうえで、「こんな見え方もあるんだな」と、やさしく受け止めてもらえたらうれしいです。
これからも、音と文章の両方で、ツィンバロンの魅力をお伝えしていけたらと思います。

新しいタイプの軽量型ツィンバロン。煌びやかな音色。


2026年06月11日

松ヶ丘会館でのティータイムコンサート。繋がるご縁と、僕の原点。

今日の午前中は、雲ひとつない青空が広がる、初夏の眩しい一日となりました。

そんな心地よい陽気の中、松ヶ丘会館にて「ティータイムコンサート」を開催いたしました。おかげさまで会場は満席となり、お越しくださった皆様には心より感謝申し上げます。

今回のコンサートには、僕の叔母も足を運んでくれました。 終演後、周囲の方々から「やっぱり(雰囲気が)よく似ているね」と声をかけられ、少し照れくさくもありましたが、叔母の顔を見ていると「僕の原点はここにもあるんだな」と、改めて深く実感する瞬間でもありました。

1時間のソロコンサートを終えた後は、皆様とのティータイムの時間を設けさせていただきました。 松江ならではの、あの“おんぼらとした(落ち着いた・ゆったりとした)”温かい空気感に包まれる中、ツィンバロンという楽器のことや、ハンガリーでの留学生活についてなど、本当にたくさんのご質問をいただきました。その流れで、ありがたいことに急遽サイン会のようになる一幕もあり、とても充実したひとときとなりました。 皆様がこれほどまでに深い興味を持って耳を傾けてくださったことが何よりも嬉しく、一つひとつの質問にお答えしていく中で、僕のほうがたくさんの元気をいただいたように思います。

そして、最後にとても嬉しいお知らせをいただきました。 今日この場所に来てくださった皆様が、揃って11月3日のプラバホールでのコンサートにもお越しくださるというのです。 今日という日に繋がった大切なご縁が、また次の大きな舞台へと続いていく。 そして、そこでの再会を約束できること。それこそが、ツィンバロン・ディプロマーシュとして活動する僕にとって、一番の喜びであり、誇りでもあります。

活動20周年を迎えたこの6月、最高のスタートを切ることができました。 今日、松ヶ丘会館に足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

11月3日、プラバホールのステージで、また皆様とお会いできることを心から楽しみにしています。

2026年06月11日

聖地という言葉を、僕は軽く使いたくない

楽器や音楽の世界でもよく「ここは聖地だ」と言われますが、その言い方に僕は少しだけ違和感を持っています。

僕は「聖地」という言葉を、あまりむやみに広げて使うべきではないと思っています。聖地というのは、本来それぞれの人の信仰のなかで、他の何ものにも代えられない、たった一つの場所です。人生の節目ごとに祈りを捧げてきた場所であり、ときには先祖や家族とのつながりを感じる場でもある。僕は、そのくらいの重さを持った言葉だと受けとめています。

ところが近年の日本では、アニメやゲームの舞台になった土地を「聖地」と呼ぶ使い方が広まり、それが観光のキャッチコピーとしても当たり前のように使われるようになりました。その流れの中で、「ハンマーダルシマー愛好者が集まりやすいから」「何人か外国から演奏家が来たことがあるから」といった理由だけで、北越谷を「ハンマーダルシマーの聖地」と呼ぶ人たちが出てきています。僕はそこに、どうしても引っかかりを覚えます。

まず、そのような使い方は、宗教的な「聖地」という言葉がもともと担ってきた重みを、結果的に薄めてしまうように感じます。信仰に支えられた場の特別さと、楽器が好きな人たちが集まる場の大切さは、どちらが上か下かという話ではなく、そもそも種類の違うものです。それなのに、後者にまで安易に「聖地」というラベルを貼ってしまうと、前者への敬意が少しずつ削られていくのではないかと心配になります。

僕が気になっているのは、演奏する側だけの話ではありません。ハンマーダルシマーが好きで、たとえ自分では弾けなくても、時間を作って足を運び、耳を傾けてくださる方が各地にたくさんいらっしゃいます。そうした方々にとっても、「北越谷こそがハンマーダルシマーの聖地だ」といった一方的な発信は、「そこに行かなければ本物ではない」「そこ以外の場は二番手だ」という、妙な序列意識や圧力のようなものを生んでしまいかねません。聴き手それぞれが、自分の暮らす土地や、自分の心にとっての大切な場所を自由に育てていけるような開かれた世界であってほしい、と僕は思っています。

もう一つ気になっているのは、日本におけるハンマーダルシマーのイメージを、少しいびつな方向へ押しやってしまう可能性があることです。北越谷が歴史の中でハンマーダルシマーとかかわってきた経緯をきちんと振り返る前に、「聖地」という言葉だけが先に広まってしまうと、「日本のハンマーダルシマーは北越谷に集まっている」「北越谷こそが正統な中心だ」といった、実態とは違うイメージだけが独り歩きしかねません。これから日本でハンマーダルシマーを知っていく人たちに、偏った先入観を与えてしまうおそれがあると思うのです。

もちろん、北越谷という場所がハンマーダルシマーにとって大切な拠点だと感じている人がいること自体は、僕も否定しませんし、その気持ちは理解できます。だからこそ、その思いを言葉にするときには、「拠点」「中心的な場所」「ハンマーダルシマー文化を支えてきた場所」など、実際の役割に合った、もう少し落ち着いた表現を選ぶほうが誠実なのではないか、と考えています。宗教的な重みを背負った「聖地」という言葉を、そのまま楽器愛好の世界に持ち込んでしまうことは、日本社会における宗教へのまなざしを軽く扱うことにもつながりかねませんし、結果としてハンマーダルシマーそのもののイメージを、本人たちの意図とはちがうかたちで歪めてしまうかもしれません。

今はこんなふうに感じているけれど、「聖地」という言葉とのつき合い方については、これからも音楽の現場や、いろいろな人との対話の中で、ゆっくり考えていきたいと思っています。

島根・松江にも例えツィンバロンやハンマーダルシマーが好きで僕のコンサートに来て下さる方は大勢います。先週の金曜日に引き続き、今日も僕はハンマーダルシマー(ハンガリー語ではイール・ツィンバロン)でコンサートをします。今日も、美しい響きを皆さんと共有してこようと思っています。

2026年06月10日

能登ブルーの地で起こっていること


3ヶ月前に初めて訪れた能登半島・珠洲市。この海と空、めちゃくちゃ綺麗だと思いませんか?

能登の海の色は『能登ブルー』と呼ばれています。珠洲市は能登半島の先端に位置しているので、このブルーが一面に広がっているのです。心が癒されていくブルーです。

この写真、どこかおかしいと思いませんか?

そう、海岸線。この地域では地震により海底が3〜5メートル隆起しました。もともと海底だったところが隆起し海面を超え、剥き出しの状態です。震災前までは着岸出来ていた船舶がもはや着岸出来ない状況。震災直後は海からの支援物資の輸送が困難だったそうです。現在もこの海岸線、道路も少しずつ整備され、この風景を観にいくことが出来ます。能登ブルーと共に驚異的な地球のパワーを感じることが出来ます。

今、能登半島、特に珠洲市、輪島市では人口流出により人口減少が問題となっています。国勢調査5年前と比べての人口減少率は、34%で珠洲市は全国1位、3位が輪島市と能登から人が離れていく…これは大きな問題だと思います。
まずは、関係人口、交流人口が増えていくこと、能登の魅力に触れてみたいと思う方々が増えること…そこが課題となっているそうです。

僕は10月にまた珠洲市を訪れてコンサートもして、能登グルメを満喫しに行こうと計画中です。

皆さんにも、是非、能登ブルーの世界を体験してもらいたいです。珠洲市と姉妹都市である松江の観光大使として、奥能登の情報もまた少しずつアップしていきたいと思います。

ホントにいいところだよ。

2026年06月08日

「癒しの音色 ツィンバロン」松江市退職校長会でお話してきました

自分の目で見たこと、足で立った場所で感じたことだけを

今日は松江市退職校長会の皆さんの前で、「癒しの音色 ツィンバロン」というタイトルで講演と演奏をさせていただきました。

お話したのは、僕の子供の頃からの夢と現実…。

阪神淡路大震災で、ハンガリーへの留学が6年も遅れてしまったこと。
東日本大震災の直後から、8年間続けてきた三陸地方での復興支援のこと。
そして今、松江観光大使として責任を感じる、姉妹都市・珠洲市の今。

僕がお話できるのは、正直なところ
『自分の目で見たこと』『自分の足で立った場所で感じたこと』だけなんです。

テレビやネットの情報ではなく、現地で見た“本当に酷い状況”と、その中で出会った人たちの“本当に温かい心”。そして、今も残っている課題。
それを、言葉とツィンバロンの音で、少しでも届けられてたらと思っています。

講演をしている途中、涙を流して聴いてくださる方がいました。
その涙が、僕がツィンバロンと一緒に歩いてきた20年の答えだと、勝手ながら思っています。

復興支援について、否定的な言葉を投げかけてくる方もいます。
でも僕は、僕の音色を抱きしめてくれる方々と一緒に進んでいきたい。

復興のことは、遠くから語るより、まず現地に足を運んで、現実を見てほしい。
能登半島が、これから復興していく姿をワクワクしながら見守ってくれる人たちと、手を繋いでいきたいんです。

どれだけ役に立てるのか、正直まだわかりません。
でも、松江観光大使として、ツィンバロン奏者として、僕にできることをこれからも真っ直ぐ届けていきます。

今日、聴いてくださった校長会の皆さん、ありがとうございました。

2026年06月06日
» 続きを読む