ツィバロン奏者 斉藤浩のブログ

ツィンバロン奏者 斉藤浩のブログです。日々のことを少しずつ書いています。コンサート情報や、感想なども。

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七夕の日に短冊に込めるツィンバロン奏者の願い

皆さん、こんにちは。ツィンバロン奏者 斉藤浩です。

今日は7月7日、七夕ですね。
皆さんはもう、願い事を短冊を書かれましたか?

毎年この日が来ると、子どもの頃のように少しワクワクした気持ちになりますが、今年、僕がひとりのツィンバロン奏者として短冊に書いた願い事は、とてもシンプルで、そして切実なものです。

「世界が平和でありますように」

なぜ、今この願いなのか。

実は今日、皆さんにお話ししたい大切な友人がいます。ウクライナに住む、僕の音楽仲間であり大切な友達、セルゲイ(セルゲイ・ネヴェロフ)のことです。

先日、彼から切実な手紙が届きました。セルゲイは20年以上も第一線で活躍している素晴らしいアレンジャー(編曲家)です。実は彼は、アレンジャーとしてだけでなく、ボタンアコーディオンの専門家でもあります。その演奏は本当に素晴らしく、演奏活動だけに留まらず、普段はさまざまなスタイルの編曲を取り入れながら、地域の子供たちに音楽を教えている、本当に心優しい、優れた音楽家なのです。

しかし、そんな彼から届いた手紙には、今のウクライナの過酷な現実がこう書かれていました。

「今のウクライナの状況はなかなか良くならず、ものすごいインフレのせいで、普通に生活していくのもかなり厳しくなってきている。だから、新しく仕事のチャンスを探しているんだ」

彼は、子供や初心者向けのシンプルな曲から、プロ向けの高度なオーケストラ編成まで、どんな楽器の組み合わせでも素晴らしい楽譜にすることができます。

手紙の最後には、「もし周りに編曲を必要としている人がいたら、僕の連絡先をシェアしてもらえると本当に助かる。ヒロシがやっているツィンバロンと僕のアコーディオンのデュオのためにも、ぜひ特別なアレンジをしてみたい」とも書かれていました。

戦火の中で、子供たちの未来のために音楽を教え続け、そして必死に生きようとしている友達。なんとかして、彼の音楽活動を支えたい。日本にいる僕にできることはないだろうか。今、そんな思いで胸がいっぱいです。

実は、僕が演奏しているこの「ツィンバロン」という楽器は、ウクライナでもロシアでも広く愛され、使われている楽器のひとつです。さらに目を向ければ、今まさに緊迫した状況にあるイランにも、イスラエルにも、名前や形は違えど、同じルーツを持つ「打弦楽器」が存在します。

僕には、ウクライナにも、ロシアにも、イランにも、イスラエルにも、たくさんの大切な友達がいます。

戦争が始まる前は、どの国の友達とも普通にメールのやり取りができていました。数年に一度開催される「世界ツィンバロン・コングレス(世界大会)」や、国際交流コンサートのステージで、国境を越えて笑顔で再会し、一緒に演奏することが当たり前のようにできたのです。

しかし、戦争が僕たちを引き裂いてしまいました。

今、こうして辛うじて連絡を取り合えているのは、ウクライナのセルゲイだけになってしまいました。他の国にいる仲間たちが今どうしているのか、無事なのかすら分からない状況です。

今、僕がこうして日本でツィンバロンの活動を続けてこれているのは、日本が『平和な国』だからに他なりません。音楽に没頭できる環境があること、それ自体がどれほど恵まれていて、奇跡のようなこと科学なのかを、セルゲイの手紙を読みながら改めて痛感しています。

楽器のルーツをたどれば、僕たちはみんな繋がっています。国境や政治の壁を越えて、世界中の打弦楽器奏者が、また同じ場所に集まり、一緒に笑い合って、一緒に演奏できる日が必ず来てほしい。

ひとりのツィンバロン奏者として、そして一人の人間として。それが、今日僕が七夕の短冊に込めた本当の願い、『世界が平和でありますように』なのです。

【皆さまへのお願い】
もしセルゲイに編曲のお仕事をご依頼なさりたい方がいらっしゃったら、是非、僕までご連絡下さい。彼の連絡先をお伝えします。彼の素晴らしい才能が、日本の皆さんの音楽と繋がることを心から願っています。どうか力を貸していただけると嬉しいです。


セルゲイの子供達に向けた優しいまなざしをなんとか応援したい…

2026年07月07日

僕が考える、正しいツィンバロン文化の普及とは

皆さん、こんにちは!ツィンバロン奏者の斉藤浩です。
いつも温かい応援をいただき、本当にありがとうございます。

先日のブログで、インターネット上にある「実態のない名称や組織」について、少し注意喚起をさせていただきました。たくさんの反響をいただき、「正しい情報を発信することの大切さ」を僕自身、改めて深く実感しています。

今日は、僕がアジア人初のツィンバロン・ディプロマーシュ(正統な資格保持者)として20年間、この楽器と一緒に歩んできた中でずっと大切にしている、「文化を正しく伝える」ということへの想いをお話しさせてくださいね。


文化を広めるって、どういうことだろう?

ツィンバロンは、ハンガリーやスロバキアなどの中欧の深い歴史と、高度な学問に裏付けられた、本当に繊細で素晴らしい打弦楽器です。

僕たちがなすべき「文化の普及」とは、この楽器の美しい歴史を正しく伝え、本物の音色を聴いてくださる皆さんの心に届けることだと、僕は信じています。

決して、正規の音楽教育や国際的な資格を持たないアマチュアの集まりが、さも日本の公式窓口であるかのように「協会」や「会長」といった名ばかりの肩書きを作って、自分たちを大きく見せるための道具にすることではありません。
事情を知らない一般の方やメディアに「ここが日本の公式なのかな?」という誤解を与えてしまうような発信や、プロの現場を軽視するような行為は、文化を広めるどころか、むしろツィンバロンの健全な発展を邪魔してしまう重大な問題だと、僕は考えています。


アマチュアとプロフェッショナルの「大切な境界線」

僕は、ツィンバロンを趣味として愛し、純粋に楽しんでいる方々の活動を否定するつもりは全くありません!むしろ、この楽器を好きになってくれる仲間が増えることは、本当に嬉しいことです。

ただ、そこには絶対に曖昧にしてはいけない「境界線」があると思っています。

国際的な高等教育を修めてディプロマ(資格)を持ち、国家間の外交関係やプロのオーケストラ、研究機関との強い『信頼関係』の中で責任を持って音を届ける「プロ」の世界。そして、個人の趣味として純粋に楽しむ「アマチュア」の世界。この二つは、背負っている学術的な責任の重さが全く違います。

だからこそ、趣味のサークル活動がその実態を隠して、公的な「協会」を名乗ることは、社会的な誠実さに欠ける行為だと僕は思うのです。愛好会は愛好会として、純粋に楽器をみんなで楽しむ素敵な場であるべきですよね。


これからの日本のツィンバロン界のために

僕はこれまで20年間、在日ハンガリー大使館やリスト・ハンガリー文化センター、NHK交響楽団をはじめとするプロオーケストラ、そして僕の恩師である世界ツィンバロン協会会長のヘレンチャール・ヴィクトリア先生たちと、バトンを繋ぐように確かな『信頼関係』を築いてきました。

これからも、世界各国の第一線で活躍するヘレンチャール門下生たちとしっかり連携しながら、本物のツィンバロン文化を日本に正しく根付かせていきたいと思っています。

もし今後も、第三者が誤解するような不適切な名称が使われたり、客観的な事実に反する情報(「国内に一台しかない」「自分が第一人者だ」といった根拠のない誇大発信)が流されたりした場合は、僕は専門家としての立場から、いつでも毅然として事実を明確にし続けます。

日本のツィンバロン界が、愛好家の皆さんは愛好家として純粋に楽器を楽しみ、プロはプロとして責任を持って文化を引っ張っていく、そんな健全で美しい世界であってほしい。

ファンの皆さんに、これからも「本物の響き」を安心して楽しんでもらえるよう、僕はこれからも真っ直ぐに、情熱を持って発信を続けていきます!

いつも僕の音楽を信じてついてきてくれる皆さんに、心からの感謝を込めて。

ツィンバロン ディプロマーシュ
斉藤 浩

2026年07月06日

【新米観光大使のつぶやき】八雲の怪談を、ツィンバロンで曲にしてみたい! 

僕は、2026年3月10日に松江観光大使を拝命しました。
まだまだ新人ですが、「小泉八雲が愛した松江」を、自分の言葉でゆっくりと伝えていきたいと思っています。

小泉八雲は、明治23年に英語教師として松江に赴任し、およそ一年三か月この町で暮らしました。宍道湖の湖岸や松江城の周辺を歩きながら、人々の暮らしや風景に深く心を動かされたといわれています。

松江での暮らしのなかで出会ったのが、のちに妻となるセツでした。セツが語る出雲地方の怪談や民話は、八雲の想像力を強く刺激し、やがて『知られぬ日本の面影』や『怪談』といった作品へと結晶していきます。

八雲は松江を「神々の国の首都」と呼び、朝夕の光や水面の色、雨の日の静けさまで、五感をとおして丁寧に書き残しました。その文章を読むと、百三十年以上前の松江の空気が、今もそっとよみがえってくるように感じます。

その後、松江には小泉八雲記念館やヘルン旧居が整えられ、世界中から八雲ファンが訪れる町になりました。市としても「怪談のふるさと松江」を掲げ、怪談や八雲ゆかりの文化を観光の大きな柱にしています。

僕自身、松江城周辺を歩くたびに、八雲が耳を澄ませ、目を凝らしたであろう場所に足を止めてしまいます。この町の風や水の気配を感じながら歩いていると、八雲が見つめた松江と、今ここにある松江が、そっと重なり合うような気がします。そんな情景や気持ちをツィンバロンで曲にしてみたい…。

これから新人の観光大使として、八雲のまなざしと、僕のまなざしを重ねながら、「怪談のふるさと松江」の物語を、ツィンバロンの音色にして、やさしくお届けしていきたいと思っています。

2026年07月06日

バッハから『ばけばけ』まで ハンマーダルシマー、アイリッシュの先にある世界

打弦楽器と歩んだ45年 サントゥールからツィンバロンへ

僕が打弦楽器に初めて出会ったのは小学校4年生の時。

そして、実際に演奏を始めたのは18歳。サントゥール。
大阪音楽大学に在学中、サントゥールに没頭してイラン留学まで考えてた。
でも当時、中東は戦時下。夢を諦めざるを得なかった。

それもあって、次に手にしたのがハンマーダルシマーとツィンバロン。
最終的に辿り着いたのは、やっぱりツィンバロンだった。


ハンマーダルシマーとの出会い 1992年

僕がハンマーダルシマーを始めたのは1992年。
当時、日本でダルシマーを弾く人なんてほとんどいなかった。

きっかけはソニーミュージックエンターテインメントのオーディション。
そのオーディションに合格して仕事を始めた時、担当ディレクターが北海道のグループ『SACRA』を紹介してくれた。
そこでダルシマーを弾いていたのが小松崎健さん。

ディレクターにもらった『SACRA』のCD「ついのすみか」。
その世界観が大好きで、毎日聴いてた。
ディレクターが小松崎さんと僕を繋いでくれたんです。
当時はまだインターネットが普及してない時代。
僕は手紙で「どうしたらダルシマーを手に入れられますか?」って聞いた。

小松崎さんは丁寧に『Dusty Strings』というメーカーと住所を教えてくれた。
すぐ手紙を書いてカタログを取り寄せ、カスタマイズもして。
アメリカから自分のダルシマーが届いた時の嬉しさは、今でも忘れられない。

教本も楽譜も全部英語で難解だったけど、
それを1つずつ読みながら、少しずつダルシマーを始めた。


アイリッシュへ、そしてバッハへ

でも不思議と、僕のダルシマーはアイリッシュの方向に行くのでした。
もちろん僕はアイリッシュが大好き。
アイルランドを3週間かけて全土を回り、
毎日パブでギネスを飲みながらセッションして、自分も弾いた。
完全にハマってしまった。

松江は小泉八雲と深い関係があるから、アイルランドとの交流も盛ん。
松江でもアイリッシュのコンサートをたくさんやってきた。

でもその後、僕はツィンバロンの世界へ本格的に向かうんだけどね…


4つの打弦楽器の違い

今、我が家にはサントゥール、ハンマーダルシマー、揚琴、ツィンバロンがある。
同じ打弦楽器でも、音も鳴り方も全然違う。

ハンマーダルシマーはアイリッシュでよく使われるD-Dur、G-Dur、C-Durが弾きやすく作られてる。
僕のはクロマティック・ダルシマーだから半音階は全部あるけど、
半音を順番に弾くのは正直難しい。

アイリッシュだけじゃ物足りなくなって、バッハに手を出してしまった。
選んだのは無伴奏チェロ組曲第1番 G-Dur。
ダルシマーで弾くのは本当に大変で、コンサートでは集中力がいる難曲。
それでも「ダルシマーでバッハが弾ける」って新しい世界が広がる予感がした。


30年後のハンマーダルシマー世界

ハンガリー留学5年間。帰国した時は浦島太郎状態。
日本の打弦楽器界は大きく進化してた。ダルシマー奏者も増えた。

ここ数年、僕の専門となった「ツィンバロン」から少し離れて「ハンマーダルシマー」の世界を覗くと、
アニメの劇伴、朗読劇、オリジナル曲でカッコいいバンド…
30年前の僕がハマってた世界とは全然違う、新しい世界を作ってる人がたくさんいる。
本当に素晴らしいことだと思う。

僕はダルシマーでトレモロを使うのが苦手だった。
うまく弾けなかったから、避けてた。
アクセントの前打音は使うけど、トレモロは使わない。

そんな中で注目してるのが、ダルシマー奏者のMiMiさん。
トレモロを美しく華麗に弾く。
きっとハンマー(バチ)の研究も重ねてきたんだと思う。
テンポに合ったトレモロのスピードや音数。
ピアノ科出身の音楽的基盤があるからこその美しさ。
しかもMiMiさんはバッハも華麗に弾く。
僕にはとても真似できない…

MiMiさんのバッハ演奏、許可をいただいて紹介します。

 

チェンバロとのアンサンブルで音色がに似てると思うかもしれないけど、
しっかりダルシマーの存在感を出されてる。
ところどころにMiMiさんらしいトレモロ。
ハンマーダルシマーの世界は、アイリッシュだけじゃない。
新たな世界が広がってる。素敵なことだと思う。


昨年度『ばけばけ』と松江

昨年度、NHK朝ドラ『ばけばけ』があった。
僕の住む松江は大盛り上がりで、
僕もツィンバロンだけじゃなくダルシマーを弾く機会が増えた。

中世ヨーロッパの曲から現代曲まで、いろいろ弾いてるけど。
もちろん『ばけばけ』のテーマ曲「笑ったり、転んだり」も。
でもやっぱりトレモロは苦手…。
MiMiさんは本当に上手にトレモロを弾く。
憧れるなぁ…。

2026年07月05日

「ツィンバロム」「チンバロン」って、今も使うの?

『ツィンバロン』日本語表記の現在

インターネットで「ツィンバロン」と調べると、
Wikipediaにこんな一文が出てきます。

「ツィンバロン、チンバロンなどの表記も多くみられる」
違うだろ!!
「ツィンバロム」「チンバロン」がどこに出てきます???

一見「いろいろ呼び方があるんだな」って思うだけかもしれません。
でも、20年以上この楽器と向き合ってきた僕からすると、
この一文、ちょっと心配なんです。


1. 僕が気になっていること

「ツィンバロム」「チンバロン」って書き方。
正直、今の日本ではほとんど見かけません。

それなのに「多くみられる」って書かれると、
初めてツィンバロンに触れる人が
「あ、これも今の正式な呼び方なんだ」って
誤解しちゃう危険があるんです。

僕はそこが一番心配で、専門家として声を上げたいと思ってます。


2. 実際の現場では「ツィンバロン」が基本

音楽大学のプロフィール、
プロのオーケストラ、公立ホールのパンフレット、
新聞やテレビの記事…

どこを見ても、使われてるのはほぼ100%「ツィンバロン」。

「ツィンバロム」「チンバロン」は、
昔の記事や一部の個人サイトに、たまに出てくる程度。
しかも「昔はこうも書かれてたよ」っていう
過去の“ゆれ”を並べてるだけなんです。

現代の日本で「多くみられる」かって聞かれたら、
僕は自信を持って「いいえ」って答えます。


3. 音の響きとしても、ちょっと違う

原語は cimbalom は日本語では[ツィンバロン] が一番近い発音。
だから「ツィンバロン」ってカタカナが、
現地の響きにも、日本語の自然さにも一番寄り添ってる。

「ツィンバロム」「チンバロン」は、
途中の母音も語尾の感じも、原語からずれてるんです。
専門家としての耳には、どうしても違和感が残る。

それを他の表記と並べて「どれも一緒」ってされると、
さすがに看過できないなって思ってます。


4. 現場の空気はもう「ツィンバロン」一択

コンサートのプログラム、
ホールの掲示、大学の授業…
実務の現場では「ツィンバロン」以外見ません。

「ツィンバロム」「チンバロン」を主役で使ってる例は、
僕の20年ではほとんど出会ったことがない。

現場で使われてる名前がこれだけ「ツィンバロン」に寄ってる。
なら、日本語の標準表記も「ツィンバロン」でいいはず。


5. Wikipediaにお願いしたいこと

だから僕は、Wikipediaに2つお願いしたいんです。

1つ目。「多くみられる」って書くなら、
今の日本語環境と実務の実態に即した資料が必要です。
でも僕が見る限り、その裏付けは確認できません。

2つ目。「ツィンバロム」「チンバロン」は
他の表記と同列じゃなくて、
「昔使われてた別表記」として扱ってほしい。

初めてツィンバロンに出会う人ほど、
最初に読む情報が大事です。
Wikipediaみたいな大きな場所だからこそ、
「今、日本ではこう呼ばれてます」って
現場の感覚に耳を傾けてほしい。

それが、ツィンバロン・ディプロマーシュ 斉藤浩としての願いです。

2026年07月03日
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