ハンガリー留学中、僕は3人のツィンバロンの先生に師事しました。
最初に教えていただいたのが、サカーイ・アーグネシュ先生です。厳しいながらも愛に溢れた先生で、フォークロアからバッハ、そして現代音楽にいたるまで、本当にくまなく指導してくださいました。
そんなアーグネシュ先生のご主人は、合唱指揮者のバロシュ・ガーボル先生。あのコダーイ・ゾルターンの合唱曲を数々初演されてきた、ものすごい方です。当時、ガーボル先生は「ELTEバルトーク混声合唱団」の指揮をされていました。
留学してすぐのこと、アーグネシュ先生からこんな提案(?)をされたのです。「ヒロシ、せっかくハンガリーに来たのだから、ツィンバロンだけでなく私の主人の合唱団に入りなさい。そこでハンガリー語の合唱曲を歌うことは、今後あなたがツィンバロンを勉強していく上で必ず役に立つから」
こうして半分、強制的に(笑)、僕は週2回、合唱の練習に通うことになりました。
当時住んでいたアパートから練習場までは、歩いて15分ほど。その途中には教会があり、いつもパイプオルガンの音が優しく響いていました。「あぁ、僕は今、ハンガリーにいるんだ……」と、日本とは違うヨーロッパの空気感を肌で感じて、いつも心がジーンと温かくなっていたのを覚えています。
初めて合唱団の練習に足を運んだとき、僕はまだハンガリー語がほとんど話せませんでした。それなのに、目の前に次々と手渡されるコダーイやバルトークの分厚い楽譜。戸惑う僕をよそに、事務局の方も団員のみんなも、最初から「ヒロ!」と親しみを込めてニックネームで呼んで迎え入れてくれました。
ここから、僕の「ツィンバロンと合唱」の二重生活が始まります。
とはいえ、ピアノ伴奏のない無伴奏の合唱曲を歌うのは、とんでもなく難しいことでした。コダーイもバルトークも、ハンガリー語のニュアンスが分かっていないと上手く歌えません。僕はまず、何度も何度も歌詞を口に出して読むことから始めました。それから小さなキーボードを使ってコツコツと音取りをして、週2回の練習に必死で通いました。
団の中に日本人は僕ひとりだけ。それでも、言葉もおぼつかない僕に、合唱団の誰もが本当に優しく接してくれました。事務局の皆さんにも、信じられないくらい可愛がってもらったことは大切な思い出です。
当時の僕のスケジュールは、とにかく音楽一色でした。朝7時から音楽学校(zeneiskola)にこもってお昼過ぎまでツィンバロンの練習。午後にはレッスンを受け、さらに声楽の個人レッスンも受けました(おもにハンガリー民謡を習っていました)。お昼ご飯を食べる暇もないほどクタクタになってアパートへ帰り、とりあえず夕方まで復習。
そして夜になれば、今度は合唱の練習へ向かいます。練習のない日には、オペラハウスに足を運んだり、リスト音楽院で演奏を聴いたりと、まさに音楽三昧の毎日を送っていました。
これが留学した当初(もう25年前)のエピソードです。ここから本格的なハンガリー留学が始まっていくのです。
あの目まぐるしくも愛おしい、ハンガリーでの素晴らしい留学時代の思い出は、また別のブログで詳しく書いてみたいと思います。

