ツィンバロン?ツィンバロム?現地の正しい発音と、名前の尊厳を守るということ

日本における打弦楽器の受容を見つめ直す上で、僕がこの20周年の節目に、どうしても最初の一歩から正さなければならないと感じていることがあります。

それが、この楽器の「名前」の表記についてです。

現在、インターネットでこの楽器を検索すると、「ツィンバロン」と「ツィンバロム」という2つの表記が混在しています。専門知識を持たない方が作成したインターネット上の百科事典などの影響で、後者の表記が標準のように扱われているケースも見られますが、これは本場ハンガリーの文化や言語の観点から見ると、非常に歪んだ状況です。


ハンガリー語の絶対ルール「第一音強勢」

まず、ハンガリー語の根本的な特徴として「第一音強勢(アクセントが必ず最初の音に来る)」というルールがあります。したがって、最も強く、明確に響くのは頭の「ツィ」の音です。
現地に赴き、その文化と音楽を骨の髄まで叩き込んできた身からすると、日本の一部で見られる、語尾を伸ばして後ろに重さを置くような「ツィンバロムー」といった発音は、もはや現地からかけ離れた、不自然な響きなのです。


「チェンバロ」は「チェムバロ」とは書かない
では、なぜ語尾の「-m」を機械的に「ム」と表記してしまうのでしょうか。
もしローマ字読みを絶対とするならば、イタリア語の cembalo は「チェムバロ」になるはずですし、英語の symphony は「シムフォニー」になるはずです。しかし、僕たちはこれらを「チェンバロ」「シンフォニー」と、音楽的にも日本語の響きとしても自然な「ン」で表記し、受け入れてきました。
Cimbalom も全く同じです。現地のネイティブが発音するリアルな響きに最も近く、音楽的な一貫性を持っている日本語表記は、間違いなく「ツィンバロン」です。


20年間、僕が耐え続けてきた屈辱と悲しみ

日本語に「ツィ」という発音がないからでしょうか。この20年間、僕が演奏する「ツィンバロン」のことを「チェンバロン」「チェンバレン」「チョンバリン」など、めちゃくちゃな名前で呼ばれ続けてきました。

僕にとって、ツィンバロンという楽器はもはや「自分自身」そのものです。自分の魂とも言える存在を、全く違う名前で呼ばれることの悲しさ。そして何より耐え難かったのは、演奏会の中、それもお客様の前である本番ステージの上という神聖な場所で、その楽器名をいじられ、奏者である僕を馬鹿にして笑い者にされることがたびたびあったという事実です。

名前を間違えたまま、その楽器や奏者を嘲笑のネタにする。それは僕個人への侮辱であると同時に、この楽器が歩んできた何百年もの崇高な歴史と伝統に対する、決定的なリスペクトの欠如に他なりません。僕はツィンバロンに関しては専門家でもあり研究者でもありますが、他の打弦楽器(イランのサントゥール、アメリカのハンマーダルシマー、中国の揚琴)のコミュニティにも所属しており、実際に演奏もいたします。
それらの楽器を網羅した上で僕が客観的に感じるのは、ツィンバロンは他の打弦楽器と比較してもはるかに難解で、高度な技術を要するグローバルな芸術楽器だということです。
NHK大河ドラマ『べらぼう』の音楽を担当された作曲家のジョン・グラム氏も、「ツィンバロンは西洋と東洋を結ぶようなグローバルな音色の楽器だ。江戸のドラマだからといって、私は日本の伝統楽器だけにこだわらない。蔦屋重三郎のひらめきの象徴としてツィンバロンを使いたいのだ」とおっしゃっていました。

僕は若い頃、違う発音をされるたびに「ツィンバロンです」と懸命に言い返していました。しかし、楽器に対するリスペクトのない人に、いくら専門家が言葉を尽くしても届きません。度重なる無理解に直面するうち、最近ではそのような場面に出くわしても、あえて何の反応もしないという、静かな選択をするようになりました。言葉にできないほどの悔しさを、僕はこの20年間、ずっと胸の奥に仕舞い込んできたのです。


専門家として、正しい「入り口」を整える

僕は20年をかけて、尊敬する指揮者、素晴らしいオーケストラ、それから僕のために新曲を書いてくださる作曲家の先生方と共に、この本物の文化を日本から発信するために血のにじむような思いで道を切り拓いてきました。

57歳を迎え、自分がソリストとして第一線で活動できる期間を逆算したとき、今、この「名前の歪み」を正すことは、専門家としての絶対に避けては通れない仕事です。
僕が提案したことを受け入れるか、それとも無視するかは、各々の自由です。しかし、僕は伝統ときちんとした系譜の中にいる人間として、この楽器の尊厳を守るために、間違っていることは「間違っている」と、これからも明確に発信し続けます。

これからこの素晴らしい楽器に出会う未来の愛好家や若者たちが、最初の第一歩で迷わないために。そして、この楽器が日本で真の芸術としてリスペクトされるために。
正しい「ツィンバロン」という名前から、この豊かな打弦楽器文化を日本に根付かせていきませんか。

NHK大河ドラマ『べらぼう』オープニングテーマ収録にて。作曲家のジョン・グラム氏、指揮者の下野竜也氏と共に、渋谷のNHK放送センターにて。(演奏:NHK交響楽団)


NHK大河ドラマ『べらぼう』オープニングテーマ収録にて。
作曲家のジョン・グラム氏、指揮者の下野竜也氏と共に、渋谷のNHK放送センターにて。(演奏:NHK交響楽団)

2026年06月29日