81年という歳月を迎えて思うこと

今日、広島に原子爆弾が投下されてから81年になります。

僕が初めて広島を訪れたのは、小学校6年生の修学旅行でした。

原爆資料館に入ってすぐ、被爆直後の様子を再現した蝋人形を目にした瞬間の衝撃は、今でも忘れることができません。子どもだった僕にはあまりにも強烈で、その光景は長い間、心に残り続けました。 怖かったです。

それ以来、僕は「核を持つ」ということについて、時々考えるようになりました。

原子力は、僕たちの暮らしを支えるエネルギーとして利用される一方で、使い方を誤れば、一瞬にして多くの命を奪う兵器にもなってしまいます。同じ「核」という技術でも、その使われ方によって結果はまったく違うものになります。 だからこそ、「核を持つことが軍事的な優位につながる」という考え方には、僕はどこか悲しさを感じます。

核兵器を一発開発し、製造するためには、莫大なお金と技術が必要です。その力や資金が、世界中の人たちが安心して暮らせる社会づくりや、医療、教育、防災、災害復興のために使われたら、どれほど多くの人が救われるだろうか…と思います。

そして、僕は「戦争」と「災害」は本質的に違うものだと感じています。

地震や豪雨、そして今年のような異常な猛暑など、自然災害は人間の力だけでは防ぐことができません。

先日の熊本の地震によって、現在も多くの人が不安な時間を過ごされたことと思います。

戦争は人間が始めるものです。

だからこそ、人間の知恵と対話によって避けられる可能性があるのではないでしょうか。

世界では今も争いが絶えません。それでも僕は、互いを傷つけ合うことではなく、支え合いながら共存共栄していく道を、世界中の人たちが真剣に考えていけたらと願っています。 そういう発信をすると反感を招くことも解っています。「お前の頭はお花畑なのか…」と。

それでも僕は思うんです。81年という歳月が流れた今だからこそ、平和について改めて考える一日であってほしいのです。

2026年08月06日