斉藤浩のブログ

ツィンバロン奏者 斉藤浩のブログです。日々のことを少しずつ書いています。コンサート情報や、感想なども。

ブログ一覧

脅迫的なメールによって失われた日常―それでも僕は音楽を続けます

7月27日、僕は、かつて指導した人物から、立て続けに4通のメールを受け取りました。Facebookにも職業、実名(ほぼ)を晒されました。完全に常軌を逸した、社会人としてあるまじき行為でした。

その4通のメールには、威圧的で侮辱的な言葉が並び、僕の活動に対する批判だけでなく、人格そのものを否定するような内容まで書かれていました。僕にとっては、まるで追い詰められるような恐怖を感じるものでした。

相手の実名を、ここで公表するつもりはありません。

しかし、かつて指導した人物から、このようなメールが繰り返し送られてきたことに、僕は大きな衝撃を受けました。その後、強い不安や恐怖、不眠などの症状が現れ、日常生活にも深刻な影響が出ました。現在も病院で治療を受けながら、警察に相談を続けています。

現在、僕を支えてくださっている方々が、毎日のように自宅を訪ねてくださっています。僕の心身の状態を確認し、食材を持ってきてくださるなど、日常生活を支えてくださっています。

僕がどのような状態に置かれ、実際にどのような被害を受けているのかは、決して僕一人だけが訴えていることではありません。身近で支えてくださっている方々も、その状況を目の当たりにしています。何が起き、その結果として僕の生活がどう変わってしまったのか。その事実は、すでに明らかになっています。

8月には、たくさんのお仕事をお引き受けしていました。しかし、心身の状態が悪化し、予定していた仕事をキャンセルせざるを得なくなりました。

関係者の皆様には、多大なご迷惑とご心配をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。

ただ、これは僕が仕事を軽く考えていたからでも、責任を放棄したからでもありません。仕事を続けることが困難になるほど、心身の健康を損なってしまったためです。

僕は、このような言動を簡単に許すことはできません。人の健康を損ない、仕事や日常生活にまで重大な支障を生じさせる行為を、「言葉だけのこと」として済ませることはできないと思っています。

4通もの脅迫的なメールを立て続けに送りつけることは、極めて重大な行為です。現在は警察に相談し、対応を任せていますが、今後の状況によっては、代理人を通じた法的手続きを検討する可能性もあります。

それでも、皆様には過度に心配しないでいただきたいと思います。

僕は、間違っていると思うことを、間違っていると伝えました。少なくとも、それを理由に、人格を否定するような言葉や、恐怖を与えるようなメールを繰り返し向けられてよいはずはありません。

そして僕は、これからも音楽を続けます。

このような言動に引きずられることなく、僕は僕のいるべき場所で、僕にしかできない音楽と向き合っていきます。

僕が大切にしてきた「系譜」や「伝承」とは、単なる肩書きや優劣の話ではありません。師から弟子へ受け継がれてきた音楽、その歴史と文化に敬意を払い、次の世代へ責任を持って手渡していくことです。その意味を理解しようとしない人に、何を伝えても届かないということがよく解りました。

それでも、曖昧にしてはならないことは、はっきりさせたいと思っています。

これまで僕を支え、応援してくださったすべての方々。そして、僕の音楽を楽しみに待ってくださっている方々に対して、僕はこれからも誠実に向き合っていきます。

失ってしまった日常と音楽を少しずつ取り戻し、また皆様の前で演奏できるよう、治療を続けながら、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思っています。

この一か月近く、毎日、僕を支えて下さった皆様に心から感謝しています。

2026年08月16日

終戦記念日―『しあわせなときの地図』を開いて

今日、8月15日は終戦記念日です。

友達からプレゼントしてもらった、一冊の絵本があります。
フラン・ヌニョ作、ズザンナ・セレイ絵、宇野和美訳の『しあわせなときの地図』です。

絵本『しあわせなときの地図』を、パンやリンゴ、木馬などとともに籠へ収めた終戦記念日のイメージ写真

友達から贈られた絵本『しあわせなときの地図』。戦争によって故郷を離れる少女ソエの物語です。

この絵本の主人公は、ソエ(ZOE)という女の子です。

ソエは戦争のために、生まれたときから暮らしてきた町を、家族とともに離れなければならなくなりました。

町を出る前の晩、ソエは机の上に地図を広げます。そして、自分の家、学校、広場、公園、橋など、楽しい思い出のある場所に、一つずつ印をつけていきます。

戦争によって町を追われても、そこで過ごした幸せな時間まで奪うことはできません。ソエが巡らせる楽しい記憶は、これから知らない土地へ向かう彼女の心を支える、小さな希望になっていきます。

今日、僕たちが戦争のない日本で暮らしていることは、決して当たり前ではありません。80年以上にわたり、日本が戦争をせず、平和な日常を守ってきたことに、改めて感謝したいと思います。

しかし、世界へ目を向ければ、今も戦争や紛争によって、生まれ育った家や町を離れなければならない子どもたちが大勢います。

子どもたちは戦争を始めたわけではありません。それでも、住む場所や学校、友達との時間、家族との穏やかな暮らしを奪われています。世界には今も、ソエと同じような境遇に置かれている子どもたちがいることを、僕たちは忘れてはいけないと思います。

いつか、この絵本の読み聞かせに、ツィンバロンで音楽を添えてみたいと思っています。

ソエの楽しかった記憶をたどる音、故郷を離れる悲しみ、そして未来へ向かう小さな希望を、ツィンバロンの響きで表現できたら…。

この絵本を通して、一人でも多くの人に、平和であることの尊さを感じてもらえたらと思います。そして、いつの日か、世界中の子どもたちが「しあわせなとき」を過去の地図の中だけではなく、今いる場所で安心して生きられることを願っています。

2026年08月15日

災害が奪うのは、目に見えるものだけではない―阪神・淡路大震災を経験したツィンバロン奏者の記憶

令和8年熊本地震が発生してから、僕は世界各地で起きている災害のニュースに、これまで以上に目を向けるようになりました。

熊本では、今も活発な地震活動が続いています。そして熊本地震の後、8月10日には、南米コロンビアでもマグニチュード7.4の大きな地震が発生しました。

その少し前、6月24日には、隣国ベネズエラでマグニチュード7.2と7.5の地震が相次いで発生しています。

ベネズエラでは多くの建物が倒壊し、数千人もの命が失われたと伝えられています。住む場所を失った人も多く、電気や水道、通信、医療など、人々の生活を支えるものにも深刻な被害が出ています。

さらに中国をはじめ、世界各地で台風や豪雨、洪水による被害も続いています。道路が濁流にのみ込まれ、家や車が流され、多くの人々が避難を余儀なくされています。

それぞれの地震が直接つながっていると断定することはできません。また、地震と気候変動を同じ原因で説明することもできません。

それでも、世界のさまざまな場所から、地震、台風、豪雨、洪水の知らせが絶え間なく届いてくる現実に、僕は驚愕しています。

倒壊した建物や、濁流にのみ込まれる家の映像を見るたびに、僕は阪神・淡路大震災のことを思い出します。

僕自身、阪神・淡路大震災の被災者です。

あの震災では、家の中にあった多くのものが壊れました。テレビや家具も失いました。ツィンバロンとハンマーダルシマーは無事でしたが、それ以外のものはほぼ使い物にならなくなりました。

テレビや家具は、時間はかかっても、またお金をためて買い直すことができます。まったく同じものではなくても、生活の中に取り戻すことはできます。

でも、どれだけお金を出しても、二度と取り戻せないものがあります。

僕にとって、それは写真でした。

当時、僕は熱帯魚を飼っていました。
地震の激しい揺れによって水槽が倒れ、写真をしまっていた箱の上に落ちました。水槽の水で、箱の中の写真はすべてずぶぬれになりました。
震災の後、あまりのショックで片づけることが出来なかったので、後回しにしていた箱の中の何枚もの写真は重なったまま貼り付き、もう元に戻すことができなくなっていました。

僕は、仕方なく処分するしかありませんでした。

僕には大学生時代の写真が一枚もありません。

阪神・淡路大震災で亡くなった友人と一緒に写った写真も、失いました。

友人は震災で亡くなり、その友人と過ごした時間を写した写真まで、震災によって奪われました。

もう会うことのできない友人の姿を、手元に残された写真で確かめることさえできません。

写真は、ただの紙ではありません。

そこには、そのときの自分がいて、もう会うことのできない人がいて、二度と戻ることのない時間があります。

僕が若かった頃、どのような顔をしていたのか。誰と一緒に、どこで笑っていたのか。どんな時間を過ごしていたのか。

写真を見れば、忘れかけていた出来事や、そのときに交わした言葉まで思い出すことができたかもしれません。

しかし、その手がかりとなる写真が、僕には残されていません。

自分の人生の一部分を、突然切り取られてしまったような感覚です。

震災のときに見た衝撃的な光景や、感じた恐怖は、今でもトラウマのように記憶の中に残っています。

あの激しい揺れも、壊れた家の中も、震災直後の寒さや不安も、忘れることができません。

ところが、その一方で、震災より前の楽しかった思い出は、年月が過ぎるにつれて、少しずつ色あせていくように感じます。

忘れたいほど恐ろしい記憶は、今も鮮明に残っている。

それなのに、忘れたくない楽しい思い出のほうが、少しずつ遠ざかっていく。

僕にとって、それは今も続いている、震災による苦しみの一つです。

災害の被害は、亡くなった方や負傷した方の数、倒壊した建物の数、被害総額などによって伝えられます。

それらは、被害の大きさを知るために必要な数字です。

しかし、その数字だけでは決して表すことのできない喪失があります。

一軒の家が失われたということは、その中にあった家族の写真、手紙、子どもの頃の記録、亡くなった人の面影まで、失われたかもしれないということです。

そこには、その人が生きてきた時間があります。

世界各地の地震や洪水の映像を見るとき、僕は画面に映る一軒一軒の家にも、それぞれの人生と記憶があったのだと思います。

災害は、建物や家具など、目に見えるものだけを奪うのではありません。

その人の過去、かけがえのない人との記憶、そして自分が生きてきた証しまで、一瞬にして奪ってしまうことがあります。

街の建物が新しくなり、道路や鉄道が復旧しても、被災した人の中で、震災が終わるとは限りません。

僕が失った写真は、もう戻ってきません。

阪神・淡路大震災で亡くなった友人との写真も、二度と見ることはできません。

震災から三十年以上が過ぎても、その事実は今も僕の中に残っています。

熊本、ベネズエラ、コロンビアをはじめ、世界各地で地震や台風、豪雨、洪水によって被災された方々も、外からは見えない、それぞれの喪失を抱えているのだと思います。

災害のニュースに接するとき、僕たちは被害を数字だけで見てはいけない。

その数字の一つひとつに、かけがえのない人の命と人生があることを、忘れてはいけないと思います。

世界各地の災害で亡くなられた方々に、心より哀悼の意を表します。そして、被災されたすべての方々に、心よりお見舞い申し上げます。

僕は阪神・淡路大震災で失った写真と、今も消えることのない記憶を抱えながら、災害が人の人生から何を奪うのかを、これからも伝えていきたいと思います。

2026年08月13日

ツィンバロンで旅する中近東―『CARAVAN』

今回ご紹介する動画は、僕が以前制作した『CARAVAN』というPVです。

この曲はもともと、コマーシャルで使用するBGMとしてご依頼をいただき、作曲したものでした。タイトルのとおり、広い砂漠を進んでいく隊商(キャラバン)の姿を思い浮かべながら聴いていただけたらと思います。


ツィンバロンというと、ハンガリーの民族音楽を演奏する楽器という印象を持っている方も多いかもしれません。しかし実際には、ハンガリー音楽だけでなく、さまざまな国や地域の音楽に不思議なほどよく馴染む楽器です。

ツィンバロンは、その祖先をたどると中近東の打弦楽器につながるともいわれています。そのため、この楽器を使って中近東を思わせる音楽を作ることもできます。ただし、音程が固定されたツィンバロンでは、中東の伝統音楽で使われるような繊細な微分音まで表現することは難しく、そこは少し残念に感じたところでもありました。

僕は大学生の頃、イランの打弦楽器「サントゥール」を学んでいました。そこで身につけた旋律の動きや装飾の感覚を思い出しながら、この曲でも中近東風の旋律を自分なりに模して演奏しています。

ハンガリーで学んだ伝統的なツィンバロンの使い方とは、かなり異なる演奏です。でも、ツィンバロンではこういう音楽もできるんです。

NHK大河ドラマ『べらぼう』の作曲家、ジョン・グラムさんが僕に伝えてくださったように、僕も「ツィンバロンはグローバルな楽器」だと感じています。国や文化の境界を越えて、聴く人の想像をさまざまな場所へ運んでくれる―それも、この楽器の大きな魅力のひとつです。

『CARAVAN』を聴きながら、ツィンバロンの音色と一緒に、少しだけ遠い異国を旅するような気分を楽しんでいただけたら嬉しいです。 この曲は、僕のアルバム『Life』にも収録されています。

ぜひ、映像とともにお楽しみください。

2026年08月12日

信じられない「ドナウ川の渇水」―僕が見た「濁流で狂暴なドナウ」

今、ハンガリーを流れるドナウ川が、記録的な渇水状態になっているというニュースを目にしました。 正直に言って、僕にはすぐには信じられませんでした。

僕はハンガリー留学中の2002年から2006年まで、ブダペストで暮らしていました。 僕にとってドナウ川は、観光写真やヨハン・シュトラウスのワルツで知られる「美しき青きドナウ」だけではありません。 僕は、「濁流で狂暴なドナウ」も実際に見た経験者だからです。

留学中、ブダペストでは二度、大きな洪水がありました。 一度目は2002年8月。 ブダペストでは8月18日に水位が848cmに達しました。ドナウ川流域に降り続いた大量の雨によって起きた大洪水でした。 そして二度目は2006年4月。 この時にはさらに水位が上がり、4月4日に860cmを記録。2002年の記録を上回る、当時としては観測史上最高の「結氷を伴わない洪水」となりました。

僕は、その時のドナウ川を今でもはっきり覚えています。

くさり橋の上から川を見ると、いつものドナウとはまるで別の川でした。 大量の濁った水が、ものすごい勢いで流れていました。 上流からは、倒れた大きな木まで流れてきました。 木だけではありません。 いろいろな物が濁流の中を流されていく。

橋の上から見ていても、正直、怖かった。 普段はゆったりと流れているように見えるドナウ川が、自然の力をむき出しにして、轟々と流れていくのです。

洪水の影響で地下交通にも大きな影響が出ました。 ブダペストでは地下鉄やHÉVなど、地下を走る交通機関があります。僕自身も普段使っていた地下交通が使えない場面があり、とても困ったことを覚えています。

そして、水が引いた後も大変でした。 ドナウ川がいつもの水位に戻っていくと、両岸には上流から運ばれてきた木や、さまざまながれきが大量に残されていました。

だから僕の中には、 「ドナウ川は水が多すぎて怖い川になることがある」という強烈な記憶があります。

その僕が今、 「ドナウ川が渇水している」というニュースを見ているのです。

2026年7月末、ブダペストではドナウ川の水位が23cmまで低下し、2018年に記録されたそれまでの最低水位33cmを下回ったそうです。 もちろん、この「23cm」という数字は川全体の深さが23cmという意味ではなく、水位観測所の基準面から測った数字です。 それでも、記録的な低水位であることに変わりはありません。

長期間の少雨と猛暑によってドナウ川流域の水量そのものが極端に減少し、ハンガリーの水利当局も、現在の自然流量がこれまで観測された値を下回るほど異常に少なくなっているとのことです。

僕が洪水を経験した2002年の848cm。 そして2006年の860cm。 あの濁流を自分の目で見た人間としては、現在のドナウ川の姿を簡単には想像することができません。

さらに、信じられないニュースがあります。

水位が下がったドナウ川から、80年以上前の第二次世界大戦の痕跡が再び姿を現しているというのです。

セルビアとルーマニアの国境に近いプラホヴォ付近では、1944年にドイツ軍が撤退する際に自ら沈めた軍用艦艇が、低水位によって次々と姿を現しています。 当時、ソ連軍の進撃を妨げるため、最大200隻ほどのドイツ軍艦艇がこの付近で沈められたとされています。 中には今なお武器や爆発物を積んでいる可能性のある船もあるのだとか。

ハンガリーでも、低水位になったドナウ川から第二次世界大戦当時のドイツ軍に関係する遺物などが見つかったそうです。

80年以上、ドナウ川の水の下に眠っていた戦争の痕跡が、2026年の異常な渇水によって再び人間の前に現れている。 そんなことが本当に起きています。

歴史というものは、過去になったからといって消えてしまうわけではない。 川底の下にも、地面の下にも、人々の記憶の中にも残っているのだと思います。

僕がブダペストに暮らしていた頃、目の前にあったドナウ川は、時には恐ろしいほど大量の水を運んでいました。 「美しき青きドナウ」と呼ばれる川が、茶色い濁流となり、倒れた巨木を運びながら流れていく。 僕はその姿を知っています。

それだけに、今度はその同じドナウ川が水を失い、川底をさらけ出しているという現実に、言葉を失います。

ハンガリーにも、これほど大きな異常気象の影響が及んでいる。 かつて暮らした国だけに、遠い外国のニュースとして見ることができません。

洪水であれ、渇水であれ、人間は自然の力を完全に支配することなどできない。

2002年と2006年に僕が見た「濁流で狂暴なドナウ」。 そして2026年、川底に眠っていた80年以上前の戦争の痕跡まで見せ始めた「渇水のドナウ」。

同じ川が、わずか20数年の間にこれほど両極端な姿を人間に見せていることに、僕は大きな驚きと、言葉にできない不安を感じています。

僕の記憶の中にあるドナウ川は、今もブダペストの街の真ん中を、たっぷりと水をたたえて流れています。 だからこそ今のニュースを見ながら、僕は何度も思います。

あのドナウ川が、本当にこんなことになっているのか…。

2026年08月11日
» 続きを読む