信じられない「ドナウ川の渇水」―僕が見た「濁流で狂暴なドナウ」
今、ハンガリーを流れるドナウ川が、記録的な渇水状態になっているというニュースを目にしました。 正直に言って、僕にはすぐには信じられませんでした。
僕はハンガリー留学中の2002年から2006年まで、ブダペストで暮らしていました。 僕にとってドナウ川は、観光写真やヨハン・シュトラウスのワルツで知られる「美しき青きドナウ」だけではありません。 僕は、「濁流で狂暴なドナウ」も実際に見た経験者だからです。
留学中、ブダペストでは二度、大きな洪水がありました。 一度目は2002年8月。 ブダペストでは8月18日に水位が848cmに達しました。ドナウ川流域に降り続いた大量の雨によって起きた大洪水でした。 そして二度目は2006年4月。 この時にはさらに水位が上がり、4月4日に860cmを記録。2002年の記録を上回る、当時としては観測史上最高の「結氷を伴わない洪水」となりました。
僕は、その時のドナウ川を今でもはっきり覚えています。
くさり橋の上から川を見ると、いつものドナウとはまるで別の川でした。 大量の濁った水が、ものすごい勢いで流れていました。 上流からは、倒れた大きな木まで流れてきました。 木だけではありません。 いろいろな物が濁流の中を流されていく。
橋の上から見ていても、正直、怖かった。 普段はゆったりと流れているように見えるドナウ川が、自然の力をむき出しにして、轟々と流れていくのです。
洪水の影響で地下交通にも大きな影響が出ました。 ブダペストでは地下鉄やHÉVなど、地下を走る交通機関があります。僕自身も普段使っていた地下交通が使えない場面があり、とても困ったことを覚えています。
そして、水が引いた後も大変でした。 ドナウ川がいつもの水位に戻っていくと、両岸には上流から運ばれてきた木や、さまざまながれきが大量に残されていました。
だから僕の中には、 「ドナウ川は水が多すぎて怖い川になることがある」という強烈な記憶があります。
その僕が今、 「ドナウ川が渇水している」というニュースを見ているのです。
2026年7月末、ブダペストではドナウ川の水位が23cmまで低下し、2018年に記録されたそれまでの最低水位33cmを下回ったそうです。 もちろん、この「23cm」という数字は川全体の深さが23cmという意味ではなく、水位観測所の基準面から測った数字です。 それでも、記録的な低水位であることに変わりはありません。
長期間の少雨と猛暑によってドナウ川流域の水量そのものが極端に減少し、ハンガリーの水利当局も、現在の自然流量がこれまで観測された値を下回るほど異常に少なくなっているとのことです。
僕が洪水を経験した2002年の848cm。 そして2006年の860cm。 あの濁流を自分の目で見た人間としては、現在のドナウ川の姿を簡単には想像することができません。
さらに、信じられないニュースがあります。
水位が下がったドナウ川から、80年以上前の第二次世界大戦の痕跡が再び姿を現しているというのです。
セルビアとルーマニアの国境に近いプラホヴォ付近では、1944年にドイツ軍が撤退する際に自ら沈めた軍用艦艇が、低水位によって次々と姿を現しています。 当時、ソ連軍の進撃を妨げるため、最大200隻ほどのドイツ軍艦艇がこの付近で沈められたとされています。 中には今なお武器や爆発物を積んでいる可能性のある船もあるのだとか。
ハンガリーでも、低水位になったドナウ川から第二次世界大戦当時のドイツ軍に関係する遺物などが見つかったそうです。
80年以上、ドナウ川の水の下に眠っていた戦争の痕跡が、2026年の異常な渇水によって再び人間の前に現れている。 そんなことが本当に起きています。
歴史というものは、過去になったからといって消えてしまうわけではない。 川底の下にも、地面の下にも、人々の記憶の中にも残っているのだと思います。
僕がブダペストに暮らしていた頃、目の前にあったドナウ川は、時には恐ろしいほど大量の水を運んでいました。 「美しき青きドナウ」と呼ばれる川が、茶色い濁流となり、倒れた巨木を運びながら流れていく。 僕はその姿を知っています。
それだけに、今度はその同じドナウ川が水を失い、川底をさらけ出しているという現実に、言葉を失います。
ハンガリーにも、これほど大きな異常気象の影響が及んでいる。 かつて暮らした国だけに、遠い外国のニュースとして見ることができません。
洪水であれ、渇水であれ、人間は自然の力を完全に支配することなどできない。
2002年と2006年に僕が見た「濁流で狂暴なドナウ」。 そして2026年、川底に眠っていた80年以上前の戦争の痕跡まで見せ始めた「渇水のドナウ」。
同じ川が、わずか20数年の間にこれほど両極端な姿を人間に見せていることに、僕は大きな驚きと、言葉にできない不安を感じています。
僕の記憶の中にあるドナウ川は、今もブダペストの街の真ん中を、たっぷりと水をたたえて流れています。 だからこそ今のニュースを見ながら、僕は何度も思います。
あのドナウ川が、本当にこんなことになっているのか…。
