「わからない」を残すことも、伝承だと思う
「わからない」を残すこと…
演奏の現場で経験したことも、僕にとって大切な資料のひとつです。わかったことだけでなく、わからなかったことも含めて、できるだけ正確に残していきたいと思っています。
ツィンバロンを長く演奏していると、ときどき「昔はどうだったのですか?」「これはどこから始まったのですか?」といった質問を受けることがあります。
もちろん、長く勉強してきたからこそ答えられることもあります。
先生から直接教わったこと。
実際に演奏の現場で経験したこと。
楽譜や資料を調べて確認できたこと。
留学中に見たり聞いたりしたこと。
でも、長くやっているからといって、何でも知っているわけではありません。
知らないことは、知らない。
そして最近、僕はこの「知らない」ということも、きちんと記録しておく必要があるのではないかと思うようになりました。
「伝えられてきたこと」と「確認できること」は同じではない
音楽の世界には、先生から弟子へ、そしてまた次の世代へと伝えられてきたものがたくさんあります。
僕自身も、先生方から本当に多くのことを教わってきました。
奏法や音色についてはもちろん、作品について、楽器について、昔の演奏家について…。
そうしたものは僕にとって、とても大切な財産です。
ただ、
「先生から聞いた」ということと、
「歴史的な事実として確認できた」ということは、必ずしも同じではありません。
先生にも記憶違いはあるかもしれません。
時代によって考え方が変わることもあります。
ある地域では当然とされていたことが、別の地域ではまったく違っていた、ということもあります。
そして、資料そのものが残っていないこともあります。
だから僕は、先生から教わったことを大切にしながらも、
「これは僕が先生から直接教わったことです」
「これは資料で確認することができます」
「これは伝聞として聞いたものです」
「これについては、現在のところ僕には確認できません」
ということを、できるだけ区別して残したいと思っています。
わからないものを、わかったことにしない
これは、とても大切なことだと思っています。
たとえば、誰かが昔、
「おそらく、こうだったんじゃないかな」
と言ったとします。
それを聞いた次の人が、
「先生から、こうだったと聞きました」
と伝える。
さらにその次の世代になると、
「昔はこうでした」
となってしまうかもしれません。
最初は一人の推測だったものが、いつの間にか「事実」になってしまう。
そして、それが何十年も繰り返されれば、今度は「伝統」と呼ばれるようになるかもしれません。
僕は、それを怖いと思います。
だからこそ、
わからないものを、わかったことにしない。
これは、伝承に関わる人間の責任の一つではないかと思っています。
「わからない」という記録は、次の人への宿題になる
「わかりません」と書いてしまえば、そこで終わってしまうようにも思えます。
でも、僕はむしろ逆だと思っています。
「現在のところ確認できない」
という記録が残っていれば、10年後、20年後の誰かが、新しい資料を見つけるかもしれません。
今まで公開されていなかった楽譜が見つかるかもしれない。
昔の演奏家の記録が出てくるかもしれない。
別の国の資料と結びついて、それまでわからなかったことが明らかになるかもしれません。
つまり、
「わからない」という記録は、未来の人に残す問いでもある。
僕はそう考えています。
だから、わからないことを書くのは恥ずかしいことではないと思っています。
むしろ、わからないことをわからないまま残すことで、次の人がそこから研究を始めることができます。
先生にも間違いはある
僕は以前から、
先生にも間違いはある。
でも、それをお互いに理解しながら、次のステップへ上がっていけるのが伝統だ。
と思っています。
伝統というのは、先生の言ったことを一字一句そのまま繰り返すことではないと思うのです。
もちろん、先生から受け取ったものは大切にする。
でも、自分でも考える。
調べる。
演奏して確かめる。
違う資料が出てきたら比較する。
そして、わからなければ「わからない」とする。
そうやって少しずつ次へ進んでいくことも、伝統を受け継ぐことなのでは…と思うのです。
僕がこのサイトに残していきたいもの
僕はこのサイトに、ツィンバロンについてできるだけ多くのことを残していきたいと思っています。
でも、僕が残したいのは、
「斉藤浩は何でも知っている」
という記録ではありません。
そんなことはあり得ません。
僕自身が長年勉強し、演奏してきた中で、
何を教わったのか。
何を経験したのか。
何を資料で確認できたのか。
そして、
何がまだわからないのか。
何が現在のところ検証できないのか。
そこまでを含めて残しておきたいと思っています。
僕が知らなかったことを、将来誰かが明らかにしてくれたら、それでいい。
むしろ、それがいい。
伝承者というのは、すべての答えを持っている人ではないと思います。
どこまでがわかっていて、どこからがまだわからないのか。
その境界を、できるだけ正確に次の世代へ渡す人。
それもまた、伝承者の大切な役割なのではないかと…。
そして僕自身も、これからまだまだ勉強していきたいと思っています。
2026年9月3日
ツィンバロン・ディプロマーシュ 斉藤浩